式部いろは波乱万丈ヒストリー

「式部いろは 年齢」「式部いろはとは」と検索されることが増えた今、元宝塚歌劇団星組・85期生の式部いろはが、自身の人生をインタビュー形式で振り返ります。幼少期の劣等感、登園拒否、突然の覚醒、舞台との出会い、スカウト秘話、そして宝塚音楽学校一発合格まで。どこかズレていてなぜか濃い.そんな唯一無二の半生を、笑いとリアルを交えて深掘りします。普通になじめなかった少女がなぜ舞台へ辿り着いたのか。その原点がここにあります。

元宝塚歌劇団式部いろはヒストリー。年齢

目次

  1. 「式部いろは 年齢」で検索される理由

  2. 胎教が宝塚だった少女時代

  3. しもやけ人生の始まり

  4. 幼稚園で味わった劣等感

  5. 「このままじゃダメだ」突然の覚醒

  6. 全校生徒の名前を覚えた理由

  7. デパ地下のパンに人生を支えられる

  8. 流星群とミュージカルとの出会い

  9. “ヤバオ”と呼ばれた中学時代

  10. スカウトされた竹下通りの夜

  11. 母の突破力が人生を変えた

  12. 宝塚音楽学校、一発合格の裏側

  13. 式部いろは誕生

  14. 普通になれなかったから今がある

式部いろは 波乱万丈ヒストリー

「まず、年齢を隠さないんですね(笑)」

――最近、「式部いろは 年齢」と検索されることが増えているそうですね。

そうみたいなんです(笑)。

でも、隠す必要もないかなと思って。

1982年、戌年です。

ここで変に濁すより「はい、戌年です!」って言ったほうが気持ちいいですよね。

実は東京生まれなんですが、その後は両親の実家がある仙台で育ちました。

そして、母がかなり強烈でして(笑)

「女の子が生まれたら宝塚に入れる」

と決めていたらしいんです。

しかも胎教が宝塚。

お腹の中にいる時から宝塚の音楽を聞かされていたわけですから、もう英才教育なのか洗脳なのか分からないですよね。

人生最初の病気が「しもやけ」

――幼少期はどんな子どもだったんですか?

これが今と全然違って、本当におとなしい子でした。

しかも、母子手帳を見た、0歳の病歴に「しもやけ」って書いてあったんです(笑)。

赤ちゃんでしもやけって何なんだろうって。

でも実際、最近まで毎年しもやけになっていました。

冬=しもやけは人生の恒例行事でヨガを始めてから少しずつ軽くなり、昨年はしもやけにならなかったです。

幼稚園で人生初の挫折を知る

幼稚園は東北音楽学校幼稚園でした。

もう、とにかく周りがすごい。

みんなキラキラしていて、私は完全に置いていかれていました。

今なら「個性」と言えるのかもしれないけれど、当時の私は、

登園拒否をしていました。

スクールバスにも乗れなくなって。

さらに課外活動でピアノとバレエも始まり「できない自分」を痛感する毎日。

でも不思議ですよね。

その環境のおかげで絶対音感は自然に身についたんです。

人生って、苦しかった経験が後から財産になることがあります。

好きな食べ物は「おふ」

かなり独特な子どもですね(笑)。

変だったと思います。

好きな食べ物がおふでしたから。

味のないもの、薄い味が好きだったんです。

 

あと、バレエ教室へ向かう地下鉄の時間が好きでした。

レッスンよりも、途中のデパ地下で翌日のパンを買うのが楽しみで。

「明日の朝、これを食べよう」

って考えている時間が幸せだったんですよね。

なんでしょう。

子どもなのに、すでに“人生の小さな楽しみ”を探していた感じがします。

「このままではダメだ」と突然思った7歳

そして7歳の頃。

突然、自分の中で革命が起きます。

本当に雷に打たれたみたいに。

このままじゃダメだと思ったんです。

理由は分からないんです。

でも突然スイッチが入った。

そこから全校生徒の名前を覚えて、自分から挨拶することを目標にしました。

今思うと異常ですよね。

でも、その経験で人生が変わったんです。

人って、ほんの小さな行動で世界が変わるんだと知りました。

流星群で人生観が変わる

8歳の頃、初めて流星群を見ました。

もう衝撃でした。

宇宙って本当にあるんだって。

今思うと変な感想なんですけど、

その時感じた“世界の広さ”みたいな感覚は今でも覚えています。

だから今でも流星群には敏感です。

夜空を見ると、あの時の感覚が戻ってくるんですよね。

“ヤバオ”と呼ばれた中学時代

中学は仙台市立五橋中学校へ。

ここで私は一部から「ヤバオ」と呼ばれていました。

意味ですか?

「色んな意味でヤバい」らしいです(笑)。

確かに、自分でもちょっと変わっていたと思います。

応援団に立候補したり、弁論大会に出たり、すずめ踊りの活動をしたり。

竹下通りでスカウトされる

13歳の頃、突然CM出演が決まります。

「白松がモナカ」や「ジーンズのアメリカ屋」のCMです。

そして東京で撮影をしていた時、竹下通りで2回スカウトされました。

そのうちのひとつがスターダストプロモーション

でも当時は芸能界に入りたいというより、

東京ってすごいなくらいでした。

母の突破力がすごすぎる

14歳で宝塚受験を決意。

ここでも母が動きます。

なんと新幹線で偶然見かけた声楽の先生に、

「娘に声楽を教えてください!」

と突然お願いしたんです。

普通なら通報案件ですよね。

先生が素晴らしい方で、

「じゃあ、歌を聞いてみましょう」

となりました。

人生って、本当に何が起きるか分からない。

母の突破力には、今でも驚かされます。

宝塚音楽学校、一発合格

そして15歳。

宝塚音楽学校を受験し、運よくまぐれで一発合格。

85期生としての日々は本当に濃密でした。

掃除当番では、バレエバーから落ちてバーに挟まるし、

毎日必死、夢の中みたいでもありました。

17歳で「ノバ・ボサ・ノバ」で初舞台。

芸名は「式部いろは」。

祖母と母の合作です。

そして18歳、宝塚歌劇団星組へ。

やっと、自分の人生が始まった気がしました。

普通になれなかったから今がある

――最後に、今だから思うことはありますか?

私はずっと、「普通になれない自分」と戦ってきた気がします。

でも今は思うんです。

普通じゃなかったから、今があるんだって。

幼稚園で馴染めなかったことも、

変わっていると言われたことも、

全部、今につながっていた。

だからもし今、

「自分だけ浮いている」

と感じている人がいたら伝えたいです。

その違和感は、いつか必ず“自分らしさ”になります。

長くなったので、とりあえずここまで

次回、続きをお楽しみにどうぞ