― 式部いろはがヨガを通して辿り着いたもの ―
人生には、知らないうちに歩かされている「轍(わだち)」があります。
親や社会の期待に応えながら生きることは、安心を与えてくれます。
その一方で、「このままで本当にいいのだろうか」と、違和感を抱える人も少なくありません。
本記事では人生の轍とは何か、なぜ苦しみが人を成長させるのか、そしてフレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」を通して“自分の人生を生きる”とはどういうことなのかを式部いろは自身の経験を交えながら綴っていきます。

目次
-
人生には見えない「轍(わだち)」がある
-
心地よい轍の中で生きる人たち
-
なぜ人は「物足りなさ」を感じるのか
-
苦しい轍が人を成長させる理由
-
「抜け出したい」という感情の正体
-
ゲシュタルトの祈りが教えてくれること
-
ヨガ未経験から始まった私の人生
-
必死すぎた365日
-
ヨガが「頑張る時間」から「喜びの時間」へ変わるまで
-
式部いろはにしかできない“ヨガじゃないヨガ”
-
本当の自由とは何か
-
まとめ
1. 人生には見えない「轍(わだち)」がある
人生には、目には見えない「轍(わだち)」があります。
親から受け継いだ価値観。学校教育。社会常識。会社のルール。周囲の期待…
私たちは、気づかないうちにその轍の上を歩いています。
良い学校へ行き、安定した会社へ入り、空気を読みながら周囲に合わせて生きる。
その流れに乗っていれば、大きく外れることはありません。
ある意味では安全ですし、多くの人が歩いている道でもあります。
だからこそ、人は安心します。
「みんながそうしているのだから大丈夫だろう」
そう思えることは、生きる上で大きな安心材料になります。
けれど私は、人は安心だけでは生きられない存在でもあると思っています。
どこかで、自分自身の魂が「本当にそれでいいのか」と問いかけてくる瞬間がある。
その違和感(心の声)を無視し続けると、人は少しずつ“自分”を見失っていくのだと思います。
2. 心地よい轍の中で生きる人たち
もちろん、轍の中で生きること自体が悪いわけではありません。
穏やかな日常。安心できる人間関係。安定した暮らし。
そうした人生に幸せを感じる人もいます。
それは、とても自然なことです。
無理に波乱を求める必要もありません。
その一方で「どこか満たされない」と感じる人もいます。
「私は誰かの期待を生きているだけではないか」
「この人生は、本当に自分が望んだものなのだろうか」
私は、その感覚を“魂の飢え”に近いものだと思っています。
人は、ただ安全なだけでは満たされません。
自分で考え、自分で選び、自分で歩いているという実感。
そこに人は深い充実感を感じるのだと思います。
3. なぜ人は「物足りなさ」を感じるのか
どれだけ安定していても「もっと何かがあるはずだ」と感じることがあります。
欲深さとは別の自分の可能性をまだ生き切れていない感覚です。
誰かに決められた人生。空気に合わせる人生。期待に応えるための人生。
続けていると、いつの間にか「自分が何を望んでいるのか」が分からなくなってしまいます。
本音を押し込めたまま生きることは、静かな窒息です。
私は、人が最も苦しくなるのは「自分を裏切り続けたとき」なのではないかと思っています。
4. 苦しい轍が人を成長させる理由
一方で人生の轍が苦しみそのものである場合もあります。
理不尽な環境。抑圧的な人間関係。孤独。自分らしく生きられない苦しさ。
そうした状況に置かれた時、人は強く願います。
「ここから抜け出したい」
その思いはとても大きなエネルギーになります。
人は本当に必要に迫られた時に変わります。
苦しいからこそ考える。居場所や逃げ場がないからこそ、自分で道を切り開こうとする。
その過程の中で、人は少しずつ自分の人生を生き始めるのだと思います。
5. 「抜け出したい」という感情の正体
「このままでは嫌だ」
「もっと自由に生きたい」
「自分の人生を生きたい」
こうした感情は決してわがままではありません。
それは人が本来持っている生命力です。
違和感は人生を変える入口です。
多くの人は最初から明確な夢を持っているわけではありません。
ただ「今のままでは苦しい」という感覚から始まる。
その小さな違和感を無視し続けるか、一歩踏み出すかで、人生は変わっていくのだと思います。
6. ゲシュタルトの祈りが教えてくれること
ここで思い出されるのがフレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」です。
私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。
私はあなたの期待に応えるために生きているのではない。
あなたもまた、私の期待に応えるために生きているのではない。
あなたはあなた。私は私。
もし偶然、互いに出会えたなら、それは素晴らしいこと。
出会えなくても、それは仕方のないこと。
私はこの言葉に深い孤独と自由を感じます。
多くの人は誰かに認められるために生きています。
しかし、本当に大切なのは、「まず自分自身として立つこと」なのかもしれません。
依存でも支配でもなく、自立した人間同士が自然につながる。
それが、本当に美しい関係なのだと思います。
7. ヨガ未経験から始まった私の人生
ヨガ未経験からインストラクターになった私は、最初から自信があったわけではありません。
「自分が完璧にヨガができなくても、来てくださる方に良い時間だったと思ってもらえるレッスンをしたい」
その思いで必死でした。
365日休みなくレッスンをする。
たとえお客様がおひとりでも、全力で向き合う。
それが当たり前の日々でした。
8. 必死すぎた365日
実際にはヨガだけに集中できる環境ではありませんでした。
家庭のこと。義両親との同居生活。ヨガ以外の仕事。
そして、ゼロから始めたヨガ。
正直、とっても大変でした。
自分の時間も、心の余裕もない。
頑張らなければの気合と根性だけで毎日を走り続けていました。
少しずつ少しずつ整えさせていただく中で私自身が変わっていったのです。
9. ヨガが「頑張る時間」から「喜びの時間」へ変わるまで
以前のヨガは、「頑張る時間」だったのかもしれません。
今は違います。
ヨガは、心と身体を整える時間。喜びを感じる時間。学び、成長していく時間。
そして人と出会い、心を通わせる時間になりました。
レッスン後に
「めちゃくちゃ楽しかったです」
「元気とパワーをもらえました」
「心まで軽くなりました」
そんな言葉をいただくことがあります。
そのたびに、続けてきてよかったと心から思います。
私はきっと、ヨガを教えながら同時に来てくださる皆さんに育ててもらってきたのだと思います。
10. 式部いろはにしかできない“ヨガじゃないヨガ”
家から一歩外へ出れば私は“式部いろは”として生きています。
そして私が届けているのは、ただのヨガではありません。
式部いろはにしかできない『ヨガじゃないヨガ』
身体を動かすだけではなく、心まで元気になる時間。
笑って、整って、エネルギーが巡る時間。
なんだか今日、生きてて楽しい!
そんなふうに感じられる時間を私は届けたいと心からおもっています。
ときには「マツケンサンバ・ヨガ」もやります。
笑って、踊って、解放して、祝祭を楽しむ。
ヨガの形にとらわれるよりも、その人が元気になることを私は大切にしています。
11. 本当の自由とは何か
本当の自由とは、好き勝手に生きることではないと思います。
自分の意思で選び、その結果を引き受けながら生きること。
それが自由なのではないでしょうか。
轍の中にいれば、責任を感じずに済むこともあります。
でもその代わりに、自分の人生を誰かに委ねることにもなります。
逆に、自分で道を選ぶ人は、不安も責任も背負いますが
「自分の人生を生きている」という実感があります。
12. まとめ
人生にはそれぞれの轍があります。
安心できる轍。苦しい轍。
その中で穏やかに生きる人もいれば、そこから抜け出したいと願う人もいます。
どちらが正しいという話ではありません。
もし今あなたが強い違和感を抱えているのなら、その感覚を無視しないでほしいと思います。
「このままでは終わりたくない」
その思いは、あなたの人生を動かす大切なエネルギーかもしれません。
人は苦しみの中で自分を知り、選択の中で成長していきます。
与えられた轍をただ歩くのではなく、自分自身の道を見つけようとしたとき、人は初めて本当の意味で人生を生き始めるのだと私は思っています。
